コープ自然派の
あゆみ
コープ自然派が、その前身である共同購入会時代から、組合員(会員)のみなさんと歩んできたこれまでを年代を追って紹介します。
安全な食べものを求めて(1970年代前半)
1945年、第二次世界大戦が終わり、復興への道を歩み始めた日本。自由と民主主義を手にし、豊かなモノに溢れたアメリカに追いつけとばかり工業化が進みました。
高度経済成長を遂げ、豊かさを享受していた陰で、森永ヒ素ミルク(1955年、製造過程でヒ素混入)、水俣病(1956年、チッソ工場排水による魚介汚染)、カネミ油症(1968年、配管ミスでダイオキシン発生)などが起こりました。それらの被害により、本人、子、孫と、いまだに苦しみ続けている人たちがいます。
農業においても、近代化の名のもとに経済効率が優先され、農薬や化学肥料多投による収穫物汚染、土壌汚染が深刻化します。みかん栽培に従事する青年が農薬中毒で死亡する事件も起き、あらためて農薬の危険性がクローズアップされました。
物質的な豊かさと引き換えに進む環境の悪化や食への不信。そんな中、安全な食べものを求めて、有機農業生産者グループや生産者と連携する消費者グループ(共同購入会)が全国で誕生し始めました。
自然派の小さな芽(1970年代後半)
1975年、『複合汚染』(有吉佐和子著)が出版されベストセラーに。工場排水、農薬、排気ガス、食品添加物、合成界面活性剤など、さまざまな化学物質が混じり合うことにより、甚大な被害につながることを指摘した内容の影響もあって、有機農業運動や消費者運動が盛んになります。
この頃、「子どもたちに安全でおいしい牛乳を飲ませたい」というお母さんたちの願いから、よつ葉牛乳を共同購入するグループが全国各地で誕生。「よつ葉牛乳関西共同購入会」「徳島暮らしをよくする会」などのグループは、現在のコープ自然派につながる小さな芽生えとなります。
愛媛、香川、高知でも次々と有機農業運動が生まれ、それに伴い小さな共同購入会が誕生。農産物や無添加調味料などを農家や加工所から産直で購入し始めます。また、農家との交流「縁農(援農)」を行い、子どもも一緒に農業の手伝いをする活動も定着していきます。
社会と手を結ぶ(1980年~)
1985年7月、「乳等省令」の改正にともない、常温流通が可能なLL(ロングライフ)牛乳が誕生。LL牛乳は超高温殺菌(140~150℃)で、カルシウムやたんぱく質の一部が熱変性することやパックを滅菌する際に使われる過酸化水素水(発がん物質)が残留する危険性があり、LL牛乳に反対する署名活動やデモ、全国集会、農水・厚生省交渉など大きなうねりとなっていきました。各地でLL牛乳反対運動を通して消費者ネットワークもでき、熱変性の少ない「低温殺菌牛乳」を求める動きにつながりました。この動きは、ただ「反対」と叫ぶだけでなく求めるものを「創造」することをめざす運動へと転換する契機となります。
共同購入会のパワーは、食べものから暮らし全体を見なおす活動になり、安全な食べものを媒介に社会について考えようという思いが広がっていきます。農産物や魚介の産直を通じて出会った水俣病の患者支援、原発反対運動(伊方原発出力調整実験、青森県六ヶ所村核燃サイクル基地化など)など社会的な活動を展開。1986年に起こったチェルノブイリ原発事故により、反原発運動が活性化し、1989年参議院選挙では候補者を立てた共同購入会もありました。
しかし、1980年代の共同購入会の活動は、「創造」を目指すグループは少数で、企業や行政に対する告発型の消費者運動が中心でした。また、立派な理念は掲げていても、事業や活動の民主的運営が未熟で、さまざまな問題を抱えていました。
よりよい事業運営をめざし、四国においては複数の共同購入会で商品の共同企画・共同仕入を行い、徳島から各事務所へ届けるという運営が始まります。関西でも「よつ葉牛乳関西共同購入会」が組織再編への模索が始まります。
共同購入会から生協へ(1990年代)
事業や活動の民主的運営をめざし、「生協(生活協同組合)設立」への道を模索がはじまります。
徳島では3つの共同購入会が合流し、1990年に「生活協同組合ふれあいコープ暮らしを良くする会」が設立されました。香川では2つの共同購入会が合流し、1993年に「生活協同組合オリーブコープ」設立。その創立総会で高知の「高生連」「土と命を守る会」からの参加者により、高知県での生協づくりも始まりました。「高生連」の協力の下、行政との友好的関係もあって手続きがスムーズに進み、1995年には「生活協同組合高知こだわりコープ」設立。「生活協同組合コープ自然派えひめ」は2000年に設立されます。
これら四国の4生協はのちの「生活協同組合コープ自然派しこく」の設立(2012年)へとつながります。
同時期、関西地域においては、20数年にわたり消費者運動の中心的役割を担ってきた、「よつ葉牛乳関西共同購入会」が法人「(株)生活ネット」と任意団体(「たがやす会」)として1990年に再スタートします。その後、2つの組織を総括するため1998年、「生活協同組合コープ生活ネット」を設立。これにより、関西一円に拡がったよつ葉牛乳関西共同購入会の大阪府全域、兵庫県、奈良県でのコープ自然派生協設立の準備が整い、順次生協が設立されていきました。
広がるコープ自然派の理念(2000年代~)
関西と四国で共通の遺伝子を持つ生協が手をつなぎ、2002年11月に厚労省認可を経て、ついに「生活協同組合連合会コープ自然派事業連合」が誕生します。2004年には連合本部が大阪市西区へ移転。また、事業の拡大、組合員の増加により、2008年には神戸市西区に連合本部とセットセンターを移築・移転します。
お届け地域を広げ、大きな飛躍を遂げたのもこの時期です。
2002年に生活協同組合コープ自然派奈良、2007年に生活協同組合コープ自然派京都、2012年に生活協同組合コープ自然派和歌山が誕生しました。
また、食のグローバル化がすすむ中、2006年より「食の安全を求め、食料自給率の向上を図るには、国内の農業を守らなくてはならない」と『国産派宣言』を掲げています。「食と農と環境は一体」という考えのもと、有機農業や生物多様性農業を行う生産者との産直の強化はもちろん、遺伝子組み換え(NON-GMO)への反対、ネオニコチノイド系農薬への反対等に取り組み、産地訪問や学習会、交流会などを通してその意義を共有。これらの取組は商品の利用とつながり、供給事業を押し上げました。
生協が力をあわせて組合員のくらしに貢献(2010年代~)
2011年、東京電力福島第一原発が事故を起こし、大量の放射能が広がりました。
コープ自然派はその前身である共同購入会時代から、被ばくや環境破壊を伴う原発に反対する運動を続け、「原発のない社会」をめざしています。
また、震災・災害・環境などへの取組は、生協の社会的役割が再注目・再評価へとつながりました。
2016年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、「協同組合」を次世代に引き継ぐべき人類の「無形遺産」に登録。決定にあたってユネスコは、協同組合を「共通の利益と価値を通じてコミュニティづくりを行うことができる組織であり、雇用の創出や高齢者支援から都市の活性化や再生可能エネルギープロジェクトまで、さまざまな社会的な問題への創意工夫あふれる解決策を編み出している」としています。生協は「協同組合」のひとつで、消費者が消費者のために作った協同組合です。
さらに、コープ自然派の理念のもと、新しい取組・事業の立ち上げも活発になります。
「国産原材料にこだわる」「食品添加物に頼らない」「組合員の暮らしに寄り添う」が開発コンセプトのプライベートブランド『自然派Style」の開発、長年「産直関係」を築いてきた生産者の原材料を使った製造部門(コープ自然派パン工房、生活協同組合連合会アイチョイス事業連合※との共同事業として立ち上げた株式会社コープ食材)の飛躍、誰もが有機農産物を作り、食べることができる社会づくりに挑戦するべく、株式会社コープ有機が設立されます。
※あいち生活協同組合[愛知・静岡]・一宮生活協同組合[愛知]・ぷちとまと生活協同組合[岐阜]が加盟する生協連合会